明治24年には山陽鉄道が開通,大正年間には12カ年の歳月を要した高梁川の大改修が完成,また大正14年には伯備線が開通し,倉敷発展の基盤となった。
太平洋戦争勃発の昭和16年,軍命令で三菱重工が高梁川廃川地で航空機製作所の建設に着手,このころからこのあたりを水島と呼ぶようになった。
戦後昭和21年に着工された農林省干拓事業が,現在の水島臨海工業地帯の形成の基盤となっている。
昭和30年からの工場誘致で,水島臨海地帯は重化学工業地帯として脚光を浴び,倉敷・児島・玉島の旧3市は地域発展のため昭和42年2月1日大合併,ここに新しい倉敷市が誕生,昭和46年・47年と相次いで庄村・茶屋町を合併,平成17年8月には船穂町・真備町と合併と名実ともに東瀬戸圏の拠点都市として発展を続けている。
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